物差し。


花見や花火が中止というのは、不謹慎というより警備上の問題などがあるからだとは理解出来る。節電の折もあろうし、膨大に出るだろうごみの処理等の問題もある。ただ、今回の猪瀬氏のtwitterでの発言は理性を引っ剥がして首根っこ捕まえ、力任せにがくがく揺さぶりたくなるだけのものがある。
 

花見はすればよい。酒も飲めばよい。過度の自粛は消費を冷やすだけだ。
ただ被災者は水も食事にも苦労している。身内を失っている。
東京の火葬場で運ばれてきた遺体も焼いている。
その辺の想像力があって、花見をして、酒を飲んで、ということだろうね。
 
猪瀬直樹東京副知事のツイートより

 
つぶやきを読んだ最初の印象は、「この人、何を酔ってるんだろう」だった。これって、「ストレス解消するな、経済回すな、被災地を思って打ちひしがれてろ、元気になるな、日本滅びろ、私は被災した人達を馬鹿にする」って事を本人だけはオブラートに包んだつもりでいると思うんだが。被災した人々も、被災していない人々も共に軽んじているとしか思えない。
ただ乱痴気騒ぎをして、被災者や死者を馬鹿にしたいなんて。被災をしたからって、人々が楽しむ事を自粛して欲しいなんて。大勢の人がそんな事を考えていると思っているのだろうか。日本人はそんなに狭隘だと思っているのだろうか。悲しみや怯えを胸にして、それでも楽しみな事を楽しみだと笑い、前を向いて生きていきたいと願う事を何故こんな安っぽい感傷に似せた暴言で踏み潰そうとするのだろう。
人はそれぞれ自分の物差しを持っている。自分と違う意見を持って、自分と違う物差しを持っている。誰かと違う意見をぶつけ合う事、私はこう思っているんだよと言える事はとても大事だ。それは即ち自由を表す。歪んだ物差しで誰かを貶める自由も、勿論ある。
 
その物差しで、誰かを打ちのめさない自由を選ぶ事だって。