22日は夏至。

この時期の東京は、日の出が4時台(本日は4時25分)なのでサマータイム導入してもいいんじゃないのと思ったりする。根室なんて、本日の日の出が午前3時37分なんですのよ奥様。あたしゃ吃驚よ。でも残業時間がそのままだったら辛いからこのままかな。折角明るいのにな。あとシエスタ導入しないかなー(言いっ放し)。
それにしてもどうして詰め替え用洗剤って、本体買うより割高なのかしら。単価計算する毎に(みみっちい…)、納得いかない。環境問題考えて買っている人達って、いいカモじゃないねー。
 
夏至の日が一番陽の長い日だと思っていたら、実はその前日だったりするらしい。結婚してから夫に教えて貰った。知らなかった。

食べる事なら何時でも考えられる。




父の見舞いに行ったら珍しく義母(not姑)より先に来たので、入籍の日以来久しぶりに父と二人だけで会話した。そういえばお父さんって案外剽軽だったな。ずいぶん昔の記憶がすんなりと引っ張り出されて懐かしくて、けれどその記憶はもう痛くないなと気付いて嬉しかった。
 
病院という所は何故か行く度とても疲れてしまう場所で、ただ往復しているだけだし働いている時よりすごく楽な筈なのに独特の疲れを覚える、ので、乗り換えの東京駅で総菜でもと覗いたグランスタの商品が、軒並み素晴らしく単価が高くて慄いた。おおおお手抜きしようと思った私が悪うございました…でも鶏団子買ったけど(1個120円だった)(みみっちい…)。
ここの所毎日冷奴を食べているのだけれど、野崎洋光氏(分とく山)が考案した薬味がとてもおいしくて、それでつい毎日食べてしまうのであった。冷奴どころか素麺や味噌汁や鰹のカルパッチョ等々、幅広く応用が利くのでとても便利(【分とく山 薬味】でググるとレシピが沢山出てきます)。
 
そういえばコンビニで1970年代生まれには懐かしい、森永のみぞれバーが売っていて、夫と興奮しながら買って来てしまった。子供の頃の、アイスを買った時の喜びまで思い出したりして。

平和だな…。

テレビを付けたらエアロビック世界大会をやっていて、失礼ながら笑ってしまった。すごい運動能力だし私にはとてもとても出来ない事だけれど、観る度どうしても笑ってしまう。真面目にやればやる程、身体能力が高ければ高い程、おかしみが増すのであった。しんとしたエレベーターの中とか、お祓いや結婚式の詔を聞いている時の様な、あの込み上げてくる笑いはなんなんだ。いや、不真面目で申し訳ないです。馬鹿にしているのじゃなくて、その空間を構成する何かにおかしみを感じてしまうのです。
 
先日髪の毛が生えて来たよヌッヘッホー! と叫んだけど、そういえば頭を洗う時、抜け毛の量が普通になったなと後から気付いた。おおー。
あれからずっと、髪の毛を洗う時やブラッシングする時はなるべく心を無にして、考えない様に、気に病まない様にと抜け毛を見ない様にしていたのでちっとも気付かなかった。今は頭頂部でぴんぴんと突き出したアホ毛と化している奴らを見ては、フフフとほくそ笑んでおります。もう抜けないでね。ね。

のんびり日曜日。




午前中、夫と錦糸町まで歩いて買い物へ。カルディでコーヒーを買い溜めして、西友で肉をたんまり買って帰宅。食べ頃の、実においしそうなライチが売っていたのに買わなかった事を後悔しながら肉を塩漬けにしたりラップにくるんで冷凍したり。作業しながら、今頃香港はむちむちのマンゴーやライチがおいしい時期だよなあなんて考えて悶えた。しかし今の時期の香港は町中がミストサウナ状態なので行くのはちょっと躊躇するわあ。
全て午前中に終わらせたので、午後はのんびりガイドブック作成(夫はそのまま外出)。夫はインドアな趣味が全く無く「休みの日に家に居るなんて!」という気質の人なので、一緒に暮らし始めた頃は楽しいし嬉しいけれどとても苦しくてどうしようかと思っていた。未だに「つまと一緒! インドアは嫌だけど!」という所が多々多々多々多々ある夫だけれど(夫の興味のない店に行ったりすると、店の前で携帯見ながら待ってたりして何が楽しいのか妻には一向に理解出来ないとか)、こんな風に一緒に居なくても裏切りじゃないし、どちらも楽しくて満足という事を覚えていってくれると本当に嬉しい。

曇り、夜に横浜にだけ雨。




本日の見舞いは夫と共に。何せ「あの暴れん坊を手なづけて結婚した男」との誉れ高い夫なので、居合わせた父義母(not姑)伯父伯母から今日も「きつい娘だけど宜しく宜しく」と拝まれていた(比喩)。…口は達者過ぎる程達者かもしれないけれど、暴れた覚えは無いんだけどな……。
ともあれ、今日の父は様々な器機から解放されて起き上がる事が出来ていたので嬉しい。コルセット付けたままだけど。まだ歩けないけど。
 
義母達との別れ際、伯母から捨て台詞の様に子を作れと言われたのが非常に不愉快で「何様のつもり?」と逃げて行く伯母の背中に反撃の言葉をぶつけた(これが暴れん坊と呼ばれる所以か)。「私も十年出来なくて苦労したけんね、あんたも早よ産みなさいよ」って、苦労した女が言う台詞じゃねーよ。あと言われた方が黙ってはいはい頷くと思うなよアア? 文字通り小走りで逃げて行く位なら言わなきゃいいのに。
私は双方の親戚に会う事が殆ど無いし、どちらの両親からも催促されていないから余計ムッとするのかもしれないけれど、世のお嫁さん達は大変だなーと改めて思った。「子供は作らないの?」と聞かれるのは話題の一つというか人間関係潤滑の一環みたいなものだから構わないのだけれど、「子供は作らなきゃ駄目よ」と押し付けられるのは絶対に御免被る。フシャー!
 
気炎を上げる妻の隣で夫はハハハと笑いながら、TEX-MEXの店へ妻を引きずって行った。只でさえ午前中に夫と喧嘩をして昼食を食べ損ね、気持ち悪くなる程空腹だったのである。程無く運ばれてきたビールや食事を平らげ、中華街でマーラーカオや肉まんを買う頃には「横浜楽しかったねー」とすっかりご機嫌の妻が出来上がっていた。夫ったら、妻の操縦方法を良く知ってるなあ。

引き続きみなとみらい。




やっぱり、何時来ても「横浜だー」と思う癖が抜けない(元横浜市民)。
昼は友人と横浜橋商店街の小さな台湾料理屋で、話好きの店の主人に間髪入れず話し掛けられながら台湾料理をいただいた。香港ばかり行ってしまうけれど、台湾も行きたいなあ。修学旅行で行ったきりだから、本当にいいところを味わえていない。
それにしても、横浜橋商店街の物価たるや恐ろしい。ぱつんぱつんになった立派な茄子が5本で99円なんて値段を見てしまうと、買って帰らざるを得ない。他にも細々買って、みなとみらいの病院まで歩く。
 
父が入院している病院は景色が素晴らしく良くて、病院独特のにおいが無くてほっとする。手術は成功したし、長年父が頑なに靭帯を伸ばしたせいだと思っていた足の引きずりも背骨に食い込んでいたヘルニアのせいだったし、様々な器具に繋がれて痛々しそうな姿の割に両足を動かせるようになっていたので、父は本当に丈夫なのだと思う。手術しても患部が良くなるとは限らないので、こればかりは運もあるのだけれど。
「もう大丈夫だから、もう来なくていいよ」と言われたけれど、来ると嬉しい様なので「また来るね」と言って帰宅の途に就いた。父とまともに話せた事なんて二十年は無かったのに不思議なものだ、今日の私達はまるで普通の親子みたいだった。
 
夜、夫が帰って来たのが嬉しくて、お帰りなさいの踊りをひとしきり踊った。夫も喜んでにこにこしていた。

父の手術。




父が手術を受ける日だったので、早起きしてみなとみらいの病院まで。脊椎間狭窄症なので大げさな病気等では無いのだけれど、亡母の手術の日を思い出してほとんど眠れなかった。現役の頃からずっと足を引きずって歩いていたし、その上とうとう腰が痛くて歩けなくなっていたし。その上、予告時間を大幅に過ぎても終わらない手術に、義母(not姑)と二人で顔を青くしていたのだけれど、原因は父の骨があまりにも丈夫でなかなか削れなかったからだと聞いて安心した。お蔭で執刀医は腱鞘炎になったそうで大変申し訳無い。
家路に着きながら、みなとみらいで働いている時に父の再婚を聞いたのだと思い出した。母と交わした約束を裏切っているという気持ちとこれで良かったのだと思う気持ちが綯い交ぜで、でもそんな気持ちも疲労感があっと言う間に飲み込み、眠らせたまま電車が東京まで私を運び去ったのだった。